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電話のかけかた

 投稿者:たかぱん  投稿日:2009年10月 5日(月)11時56分37秒
  電話をかけたら、
まず自分の名を名乗ります

これが、まず最低限のエチケットであり、ルールです。

立て続けに飛び込んでくるセールス電話。
まず、自分から先に名乗るものはありません。
その時点その瞬間、その相手に対する信用はゼロとなっています。
そのことに、気づいていないのだと思われます。

そもそも暴力的に電話をかけてくるセールスであるかぎり、
こちらは聞く気はないのですけれども。

ところが、です。
病院からの連絡だとか、
幼稚園からの連絡だとか、
必要な電話であっても、最近、自分から名乗らないのです。
医療、教育関係といった、豊かな教養のある方がですよ。

あまりに名乗らないので、私も考えてみました。
「携帯電話のせいだ」
携帯電話は、電話番号が見えたり着信音を設定したりします。
携帯電話では、「私は○○です」と名乗る必要のないケースが多いのです。

電車でドアに寄りかかって中を向いて立つなど
乗り方そのものを知らないような人が増えています。
驚くことに、狭いエレベータの中でも同様の人が現れました。
電話のかけかたも、もう携帯世代だと、分からないのでしょう。

他人の立場になって考えるという、基本的な心づかいをもつ人が、
いまや絶滅危惧種となっているかのようです。
 

セールス電話とは?

 投稿者:たかぱん  投稿日:2009年 9月17日(木)10時52分47秒
  いろいろ迷惑な電話というのは
世に知らせて行かなければいけないと思いますので、
あまり面白い話題ではないのですが、また変な電話は告知しておくことにします。

「ファンタル社」と聞こえました。

もちろん、まず自ら名のることはしません。
これはもう、迷惑電話の殆どがもつ特徴です。

個人名のSを名のり、「奥様は?」と訊きました。
こうなると、特定の関係のある会社かともうかがえます。
そこで、「セールスですか?」と丁寧に尋ねました。

すると、お知らせをしたいだけだ、と言うのです。
では、何かサービスをしてくれる、ということですか、と尋ねると、
そうではない、と言います。
どうしても女性に直接告知したいようなのです。

それが販売つまり商売につながる、
結局お金を取ろうとすることをセールスと呼んで差し支えないと私は理解しています。
そのことを言ったわけではありませんが、
セールスならばもう電話してこないでください、と私は言いました。
自分はセールス電話をかけているのではない、と確信しているそのSという電話の女性は、
「アホかこいつは」というような気持ちでいるのがありありと分かる声色になりました。
そして、何か感覚が違うようなので切ります、と言って一方的に切りました。

別にアホで結構ですが、
迷惑な電話は、それがお金を取ることを目的としている以上、
セールスの部類に入るという理解は、間違っているでしょうか?

たとえば、何か行政や納税など、大切な「お知らせ」があるかもしれません。
学校からの連絡があるかもしれません。
どこぞのお店で品物を預かっているとか、クレジットカードの手続きで問題があるとか、
あるいはまた電話工事や停電になるなどの大切な「お知らせ」があるかもしれません。
そうした重要な通知と、
やがてお金を出してもらおうという「売り込み」とは、明確に区別されるべきです。
そして電話というのは、前者のものも、確かにあるのです。
私はそれを区別したいだけです。

「感覚が違う」という、人を馬鹿にしたような電話は、初めてでした。
違って構いませんよ。
ただ、あなたのしていることは、明確に迷惑です。
せめて、自分中心の目的で他人に迷惑をかけているのだ、という程度の
基本的な自覚はしていたほうが、結局は自分の益になると思うのですが、
よけいなお節介だったでしょうか。
 

NTTのどこが消費者を無視して迷惑電話を繰り返すのでしょうか。

 投稿者:たかぱん  投稿日:2009年 9月 3日(木)12時12分36秒
  知りたいことがあるのです。
例のNTT代理店からの迷惑電話が押し寄せる件についてです。
これまで何度も、その代理店の数々に、
NTT本部に連絡して、一切電話をしてこないように、と頼みました。
すると、そうします、と代理店は一様に返答しました。
しかし、その後も何も変わらずどんどん電話がくるわけです。
理由は二つあるでしょう。

1. 代理店が本社へ連絡すると言ったのに、黙殺してしていない。
2. 代理店から本社へ連絡がきているのに、NTT本部が黙殺している。

どちらなのでしょう。

ちなみに今回の代理店は、
セールス電話についての法的な問題はまるで知らないと答えました。
これまで、知っていますと答えたいくつかの代理店も、
おそらく嘘をついていたのだろうと思われます。

NTTもその代理店も、
いいかげんにしてもらえないでしょうか。
要らない電話を来る日も来る日も受けなければならないのは、
暴力なのです。
 

間違い電話であるにしても……。

 投稿者:たかぱん  投稿日:2009年 8月31日(月)15時03分14秒
  間違い電話は誰にでも起こりうることですが、
こういうタイプに出会ったのは私は初めてでした。

「あたし!」(あたしって、誰? ちょっと年配の女性のような声)
「Kさんをお願いします」
──いえ、ちがいますが。
「わかってるんです。Kさんから電話があるということで、私は外出できないんですよ。そこにいることは分かっていますから、Kさんを出してください」
──いえ、そんな人いないんですが。
「じゃあ伝えてください。とにかく電話くださいって」(誰に?)

その後も電話が何度も鳴ります。
短気なようで、二度ほど鳴ってこちらが取らないと勝手に切れます。
しかしずっとそんなふうでも困りますし、
第一ほかの人からの電話であれば無視はできません。
私も受話器を取りますが、またその女性。

──何番におかけですか?(妙に興奮させると何をしてくるか分からないので、丁寧に対応しよう)
「いつもここにかけるとKさんが出るんですよ。とにかく伝えてください。こちらは困っているので」
──Kさんは知らないし、関係ないんです。そちらはどなたですか?
「言いません。とにかくKさんを出してください。私もあなたの名前は聞きませんから」
──おかけ間違いなんですよ。何番におかけのおつもりですか?
「何番って……いつもここにかけるとKさんが出るんですから」

その後のやりとりで、
この女性は、番号でかけているのではないことが分かってきました。
短縮ダイヤルか何かそのようなものでしょう。
だから、相手は確信をもっています。
というより、何番にかけているか、知らないのでしょう。

こうして、何度も電話が鳴ります。
事情を訊いても何の情報も説明してくれないし、
どうにも言っていることが支離滅裂。
「じゃあ、今から行きますから」
──どこへ?
「とにかく、Kさんにはそのことを伝えてください」

電話は切れました。

気味悪い。
もちろん私のところへ訪ねてくる人はいませんでしたが、
その後どうなったのか、
そしてこの女性はいったい何者なのか、
全く分かりません。

こんな事例は、ほかにあるのでしょうか。
 

NTTさん、止めましょうよ。

 投稿者:たかぱん  投稿日:2009年 7月23日(木)18時37分17秒
  だんだん嫌になりますけど……。
NTTの代理店とやらから、また来ました。

この企業、どうなっているんですかねぇ。

商法関係か、消費者保護関係か分かりませんが、
法律をご理解戴ける方、
NTTのこのどうしようもない繰り返し、
野放しでよいのでしょうか。

当然、私のところだけではないことは明白です。
今日もまた、全国津々浦々に、
別の代理店ですという理由をつけて、
NTTという無法企業が、
しつこくしつこく悪質な電話で
食事時でも仕事中でも介入し続けるのです。

他の企業は、ぴたりと止んだのですよ。
勧誘電話が。

NTTだけが、できないのです。
いや、しようとしないのです。
 
    (管理人) うーん……その後もあるんですね。
ほんとに、企業倫理の欠落したところ、
それしか言うことはありません。
ほかにもお困りの方がたくさんいらっしゃると思います。
繰り返されるこうした行為は、適宜公表していく必要がありますね。
 

NTTさん?

 投稿者:たかぱん  投稿日:2009年 7月13日(月)01時18分34秒
  その後、またNTT代理店から電話がありましたので、
もうNTT本部に連絡して、二度と電話しないでくださいね、とお願いしました。
電話のお姉さんは、それを引き受けてくれました。
この人は、人間としてまだ良心を棄てていなかったと思います。

ところが、それからまたしばらくして、
NTTの代理店からかかってきました。
内容は、また同じことです。

たしかに、商売をするということは、時に、良心を棄てることにもなります。
が、これはもう企業としても、何ら信頼できないことを平気でしているわけで、
働く個人の良心とかいうレベルではなくて、
NTT自身が、違法行為で成立している企業だということを
暴露してしまうことになりました。

いくら迷惑電話は止めてください、とお願いしても、
本部がそれを知っていても、
代理店のすることは勝手なことだから感知しない、つまり責任がない、と
うそぶいていたいのでしょうね。

迷惑なんですよ。

NTTさん。

断っても、断っても、同じ内容の勧誘電話が鳴るのです。
そちらは電話代タダなんでしょうが、
この暴力を、ほんとうに止めませんか。

NTTはただの暴力企業だと、
こちらも次の段階では、次の展開をせざるをえなくなりますから。
 

NTTさん、お願いしますよ。

 投稿者:たかぱん  投稿日:2009年 5月20日(水)00時45分56秒
  またまた電話。NTTのフレッツ光。

我が家のようなアナログの回線だと、
インターネットが繋がりにくいなどという問題が出ていると言う。
だから光に換えろ、と。

今キャンペーン中だと工事費の負担もなく、
1年間は今より料金が安いのでぜひ、と。
ふうん、一年経ったら高くなるんだ。

幾度、こうしたNTTのセールス電話に、
「もうかけてこないでください」と頼んだことだろう。
この春から、コールセンターのような背景音が響くルームから、
何度も何度もかけてくる。

これは、法を無視した行為である。
しかも、そう言うと、
文句があるなら116に言ってくれ、などと開きなおる。
そこ、どうせ身内じゃないの。

それに、アナログ回線だとつながりにくいなどという、
虚偽を騙り契約を迫るのは、
端的に商法に抵触する。

あほくさかったが、少し調べると、
その「光」関係でものすごい通信障害が幾度も発生している。
 
NTT東日本、「ひかり電話」で通話集中による通信障害が続く(2006年9月20日)
NTT西エリアで通信障害・光電話の一部つながらず(2006年10月23日)
NTT東日本「フレッツ」「ひかり電話」で通信障害(2007年5月15日)
NTT西の通信障害,工事をきっかけにユーザー収容装置が高負荷に(2007年12月18日)

 (すみません。逐一見出しの出典を記しません。悪しからず)


          故障回復のお知らせ

フレッツ 光ネクストサービスにおいて故障が発生しておりましたが、
現在、回復しております。
大変ご迷惑をお掛け致しました。お詫び申し上げます。

  発生日時:2009年 5月19日(火) 11:39
  回復日時:2009年 5月19日(火) 13:36
  状  況:フレッツ 光ネクストをご利用のお客様の通信が不安定な状態でした。
  影  響:西日本エリアにおいてフレッツ 光ネクストをご利用の一部のお客様
  原  因:NGN網内設備故障
  掲載日時:2009年 5月19日(火) 14:03
  

この出典は、NTT西日本ご本人である。
http://www.ip-nw.com/nwc/ngn/fukuoka/T_ngn20090519-000006-0000.html

アナログはつながりにくいですよ、と誘いかけたその日、
実は光がつながりにくかった。
これは、ギャグでしょうか。

NTTさん、もう電話しないでくださいよ。
これだけ頼んでいるのだから。
 

祝福が待っています。

 投稿者:たかぱん  投稿日:2009年 5月 3日(日)23時22分13秒
  神のみぞ知る……などと申し上げると冷たく響くでしょうか。
あなたのために祝福を隠し持っている、
神さまを見つめていく、というのは如何でしょうか。
そこから目をそらさないようにしていくのです。
 

たかぱんさんへ

 投稿者:町田  投稿日:2009年 5月 3日(日)22時49分26秒
  これからいいことあるでしょうか…  

baremakeさんのために

 投稿者:たかぱん  投稿日:2009年 4月28日(火)00時15分10秒
  真摯な問いかけと追究を覚えます。
聖書のミステリーを、もう殆ど経験されているのではないか、とすら思われます。

思うに、ひとつひとつの疑問は、私たちには謎として残ります。
まして、私のような者に、あらゆる疑問が解決できるわけではありません。

問われたことは、非常に重く、簡単に結論が出せる問題ではないように見えます。
ただ、パウロは、自分の身を焼く犠牲を払ってでも、愛がなければ無意味だ、と叫んでいました。
通奏低音のように、意味あるものの背後には、愛が流れているというのです。

神はまた、逃れ道のない試練をお与えにならない、という慰めの言葉も、
別の箇所でパウロは用いています。

残された者、とおっしゃることが具体的にどういうことか、分かりにくいのですが、
自己犠牲を払ったその人の周囲の人が、犠牲になった人を悼む気持ちだと今理解しておきます。
「塩狩峠」で残された婚約者の気持ちなど、計り知れないものがあります。
それをすぐに受け容れるような綺麗事であるはずがない、とも思います。

痛みある人には、人間としては共に泣くしかないかもしれません。
偉そうに、それは神の摂理だ、などと言うことなど、できませんから。
ただ、イエスが、その痛みある人を救うことができます。
イエス自身、最大の苦しみを担われたからです。

愛はすべてを耐え忍ぶとあります。
これは、下から支えること、担うという感覚だといいます。
まさにこの愛は、イエスの姿です。
イエスが担ってくださったということに気づいたとき、
そしてさらに言えば、
そのイエスを苦しめたのが自分自身なのだ、と痛感したとき、
私たちは、イエスに出会います。

私は、そんなふうに感じています。
うまく説明できなくて、すみません。
 

たかぱんさんへ

 投稿者:baremake  投稿日:2009年 4月25日(土)22時30分11秒
  この間は質問に答えて頂いてありがとうございました。

つい最近ですが、愛とは許す事だと知る事が出来ました。少しだけパウロの気持ちが分かった気がします。と言っても知っただけであって全てを理解したとは言えないといます。

自己犠牲、無償の愛についても知る事が出来ました。その人の為に何してあげたい、やってあげたいと、自分の利益とは関係なく思い、行動することではないかと自分なりに思いました。

ここで一つ疑問に思った事があります。
確かに自己犠牲は尊い行為だとは思います。ですが、残された者はどうなるのだろうかと。
試練というには、あまりに酷な気がします。心が壊れてしまうのではないだろうかと
たかぱんさんは、どのようにお考えなのか聞いてみたいと思いました。
よければ、またお答え頂ければ嬉しいです。
 

再びbaremakeさんへ

 投稿者:たかぱん  投稿日:2009年 3月20日(金)01時00分43秒
  聖書に求めているbaremakeさんの姿勢をうれしく読ませて戴きました。

私見ですが、クリスチャンになるのは、
当時としても実に珍しいことであったのではないかと想像します。
だからパウロは、そうやって選ばれた各地の信徒に対して、
尋常ならぬ情熱をもって呼びかけたのではないか、と。

「求めよ、さらば与えられん」は、マタイ7:7にある言葉です。
マタイのこの辺りの説教集自体、
様々な語録を編集したものだと言われており、
明確な脈絡はなく置かれている可能性はあるものの、
すべてが無秩序に並べられているわけでもないだろう、と考えられています。
この7章は、「さばいてはならない」から始まっています。
地上のイエスは、当時人々から差別され蔑まれていた立場の人たちに
手を伸ばしました。彼らを差別しなかったのです。

そうした人々は、
社会的に優遇された地位や知識のある宗教者、
律法を守るだけの余裕が生活にあった層の人々から、
「律法も守れないのか」と馬鹿にされていた人々でした。
「あんな奴らの言うことを、神がお聴きになるはずがない」と
軽蔑されていた人々でした。

「求めよ、さらば与えられん」の次の節は、
「だれであれ、求める者は受ける」と記しています。
これが、「求めよ、さらば与えられん」の結論です。
社会的に差別され貧しさの中で律法も守れないような立場の人も含めて、
「だれであれ」、求めるならば神は良いものを与えてくださる、
そういう、良い知らせ、つまり「福音」でした。

門を叩いて探し続けるしかない、のではなくて、
門を叩いて探し続けてよい、と受け止めては如何でしょうか。

試練のことも、これまた難しい問題です。
今このときにも試練にある方々のことを覚えます。
もちろん、私自身が試練から解放されていることもないのですが。
なお、試練に打ち克つ(耐える)努力をほうりだした者は、の意味で
baremakeさんはお書きになっているものと仮定致します。

ただ、試練を克服した者がほめられる表現が聖書にはたしかにありますけれど、
それは逆に、
試練に打ち克つことが、いかに難しかったか、ということを表しています。
ペトロなど、何度試練にへこたれたことでしょう。
弟子たちは、捕らえられたイエスを見捨てて、
トンヅラしたではありませんか。
それを後からのこのこ様子を見に来たり、
十字架刑の後では、ユダヤ人の襲撃を恐れて閉じこもってぶるぶる震えたり。

試練というのが人生の困難であるにしても、
悪魔からの試みのことであるにしても、
すでにキリストは勝利している、という試合結果は定かなのですから、
その勝利の旗のもとに、留まる気持ちがあるのかないのか、
それだけが大切なことではないでしょうか。

私たちの心は折れやすいのですが、
傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことのない(イザヤ42:3)のが
主の姿です。神の恵みです。
私が自分で自分をなんとかしよう、ともがくとき、私は折れてしまうかもしれませんが、
勝利の旗のもとにとどまろうと決意したとき、
たとえそのとき私がぼろぼろに傷ついていたとしても、
主はそれを折ることが、ないのです。

主の足許に、
安心して泣き伏してよい、というのが
私なりの「信」の捉え方です。
偉そうなことばかり申しましてすみません。
どうぞ受難から復活へと
神の愛の満ちあふれるメッセージが、
この春の光の中で、baremakeさんに喜びを満たしてくださいますように。
 

たかぱんさんへ

 投稿者:baremake  投稿日:2009年 3月18日(水)20時31分52秒
  たかぱんさんへ、ご意見を頂き嬉しく思います。

たかぱんさんは、パウロがアナニアによって再び目が見えるようになったようにキリストに出会ったのですね。なんだか羨ましく思います。

キリストは人類の罪のために身代わりに十字架に架けられたというのは、
自分たちの大切なものを犠牲にささげることによって、神の怒りをなだめるという
古代イスラエルの考え方と時代背景があったのですね。もし、私がそのような文化の中に生きていたならばその方が納得がいったのではないかと思います。ただ、私がその時代に生きていたとして、クリスチャンだったか、どうかは分りませんが人としてキリストの死を悼んだと思います。


私は、自分の罪深さを悔い改める事でしか救われないと言いましたが、
マタイによる福音書に
「求めよ、さらば与えられん」
とあるように、神は既に私たちに必要なものを用意してくださっており、用意してくださったものを探して門を叩き続けることしかないということでしょうか?
また、与えて下さった試練を途中で放り出してしまった者は救われることは無いのでしょうか?弱音を吐くようで情けないですが、私の心はすぐに折れてしまいます。キリストがまだ、生きていらっしゃるうちにその事を直接聞いてみたかったと思う私は傲慢かもしれません


お忙しいところ、私の様な者に、お時間を割いて頂き嬉しく思います
ありがとうございました。
 

baremakeさんへ

 投稿者:たかぱん  投稿日:2009年 3月16日(月)11時32分6秒
  baremakeさん、誠実なご質問を、ありがとうございました。
あなたの疑問はたいへんもっともなものであると感じました。
あなたのお考えを、こちらこそ批判するということのないように、
何らかの形でお応えしなければならないと思います。

罪の身代わりという考えを人が理解するためには、
まず古代イスラエルにおける準備がありました。
イスラエルあるいは古代中東地域にわたって、
犠牲の動物という考えがあったことです。

実に血なまぐさいものですが、
各地で動物のいのちを差し出すことで、
人の罪悪を許すという図式が理解されていました。
ハムラビ法典でも、「いのちにはいのち」とあったそうですが、
これは聖書の中にもあります。
いのちを差し出さなければならぬほどの大罪を犯したことに対して、
何らかのいのちを、ということで、動物のいけにえを考えたのかもしれません。
日本でも、同様の考えは当然あったはずです。
時に動物でなく、家臣などを含めた人間のいのちでもありましたね。

こうした背景があったがゆえに、
イエスがその犠牲のささげものになった、ということで
当時の人々には捉えやすい理解が可能となりました。
つまり、イエスが命を捨てたから罪の赦しがなされた、というよりも、
そもそも罪の赦しというものは、命を捨てるところに初めてありうる、
そういう前提で人々がいたのだ、という歴史的背景です。

でも、ただ過去の歴史に刻まれたから
そこに意味がある、というのでもなさそうです。

私は、かつてキリスト教に敵対していました。
キリスト教こそが、世界を対立と破壊へ導いたものではないか、と。
だから、キリスト教思想を壊滅させようという野望すらもっていました。

ところが、出会ってしまったのです。
その意味では、パウロの体験にも共感できるところがあります。
パウロの、あの強烈でどこか自己中心にすら見える姿は、
キリストの福音を根底に据える姿勢を見せつけるためであったかもしれません。
なにしろ、実際にキリストに出会ったのであれば、
誰がどう言おうと、自分にとっては真実そのものとなります。

でも、真実には、別の形のものがあります。
3x−1=5 という方程式の問題であれば、x=2 という解があり、
誰がやってもそうなるでしょう。これは真実です。
どうして x=2 なのですか? という質問は、
およそ方程式という意味を了解しない人の台詞でしかありません。

しかし、信仰の言葉は、定式化するタイプのものではなく、
誰にも納得できるというものではありません。
逆にこれを、真理たる命題にしてしまうところに、
宗教の恐ろしい側面が浮かび上がってくる原因の一つがあるように見えます。

従って、パウロはこのキリストの救いの仕組みを、
「神のミステリー」だと言っています(ギリシア語原文)。
それが誰の目にも明らかになるのは、つまり、
このミステリーが全員の目に解決されるのは、
終末の時であるのだ、と言っています。

「神を信じれば幸せになる」ことが、
数学の方程式のように確かな真実として証明されたならば、
誰もが神を信じるでしょう。
しかし、そうなると、「幸せ」という目的のために信じたことになります。
「幸せ」こそ、究極の目的であり、神を信じることはその手段となるでしょう。
それは、少なくとも人間の罪の問題を解決することにはならないはずです。

私はかつて、きっとあなたよりももっと激しく、
自分を信じれば何でもできる、と考えていました。
何か悪いことがあっても、自分の信じるところに立てばいい、と。
ただ自己の内実に掘り下げていけば、真理はある、と疑いませんでした。
けれども、聖書の中で、
その自分が、「救いようがない」者だと、ハンマーで頭を殴られたのです。

自分の罪を自分で解決できるならば、法などいらないでしょう。
ただ道徳さえあれば、自分で修正していけるでしょう。
哲学者カントは、当時の教会をあまり怒らせないように気を配りながらも、
人間の理性の中に、そういう自律の自由な理性がある、と考えました。
近代精神は、このカントを泉として流れ出てきたと言われています。

でも私は、自分でなんか自分は救い得ないのだという次元の地の割れ目に、
深く墜ちていきました。
そのとき、キリストが直接、言葉をかけてくれました。
聖書の中に書かれた言葉が、
まさにこの私へ向けて私の顔へ直接、向けられていたことを知りました。
私は、キリストに、出会ったのです。
そうして、私は、救い出されました。

イエス・キリストの救いはこのようになされる、という
マニュアルや公式に従ったわけではありません。
ただ、聖書の恐らくすべての言葉が
自分のために、自分へ向けて発されているという体験をしました。

短く綴るのは難しい問題です。
それでも、もっと短くお伝えできる内容でしかなかったと、
自分のまとめの下手さを嘆く次第です。

でもとにかく、
baremakeさんは、激しく神に愛されている方だとお見受けしました。
きっと、あなたのための出会いが、
神の側で準備されていることと、私は密かに考えています。

あなたの捉えているような、人間的に誠実な考えより
さらに貧相なレベルでしか聖書の読めない、「牧師」も
世の中に実際いることを考えますと、
baremakeさんが求めて聖書をお読みになったことは、
何かの必要あってのことだ、と思われてなりません。

何の答えにもなっていないかと思いますが、
どうか今回はこれにてご容赦ください。
 

はじめまして

 投稿者:baremake  投稿日:2009年 3月14日(土)19時51分47秒
  はじめましてbaremakeというものです。


私はクリスチャンではないのですが、偶然このサイトを見つけて前々から疑問に思っていた事を、もしよければで、かまいませんので、教えていただけないかと思ったのです。

私の教えてもらいたい事は 耳障りかもしれませんが、キリスト教を批判するという考えはありません。ご容赦頂きたいと思います。

キリストは人類の罪のために身代わりに十字架に架けられ、皆を救う為に喜んで命を差し出した。
と聞いた時に、私は何かひっかかりのようなものを感じました。
確かに他者の為に無償で命を差し出せるのは、凄い事だと思いますし、私には同じ事を出来る自信はありません。

ですが、キリストが命を差し出したことで本当に皆は救う事は出来たのだろうか?
自分自身を救う事が出来ない者に、なぜ皆を救う事が出来るかと、疑問に思ったのです。
もし、救うのであれば、命を差し出すのではなく、生きて教えを広めるべきだったのではと思いました。
キリストの死は、神の意志によって最初から決められていた、救いのために必要な犠牲だった。と言われていますが、最期にゴルゴダの丘で、
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」
と、言われたと、マタイによる福音書にあるように、本人にとっては不本意な結果だったのかも知れません。人を裁いてはならない、とも言われていたので、そんな事を言ったら、私は怒られてしまうかも知れませんが。


私達の罪は、誰かが負う事では洗い流されないと思います。
自分の罪深さを悔い改めることでしか救われないと私は考えています。

生意気な事ばかり言ってすいませんでした。
もしよければ、ご意見を聞かせていただければ有り難いです。
 
    (管理人) baremakeさん、誠意に満ちたご質問を、ありがとうございます。
どういう角度からお答えしようかと、思案しております。
申し訳ありませんが、
土日月あたり、個人的にたてこんでおりますため、
お返事を、いましばらくお待ち下さいますよう、お願い致します。
 

どうして諍いが始まったのか

 投稿者:kaetzchen  投稿日:2009年 3月12日(木)20時49分2秒
  たかぼんさん,実は私にもSさんの言われる内容がさっぱり意味不明です.

それどころか,私はまったく反論をしていないのにもかかわらず,向こうは勝手に
他人を巻き込んで喧嘩を売ってくる.

私は一人のクリスチャンとして,このような行為は「人のすることではない」と
考えていますし,逆に私はネットという公開の場で何を言われようと知らぬふり
をしています.相手を「病人」だと考えれば良いからです.

たかぼんさんにはこの掲示板やメールでS氏からの支離滅裂な話を聞かせてしまい,
大変心苦しく思っております.彼は私をとにかくネット上で追い詰めたいようです.
それだけが生きがいの,悲しい還暦の「自分を学者と思い込んでいる」病人なのです.

どうか,神さまが彼を哀れむことをお祈りして.なお,この書き込みは削除されて
結構です.出世主義に走った,欲望のとりこの人がどういう目にあうかは,旧約に
書かれている通りだからです.私は病を得て,過去の自分を捨てることができました.
そして,静かに,祈りの時を守っております.目が見えなくなって,本が読めなく
なって,仕事を続けることができなくなった時に,私を絶望から救ってくださった
のが聖書研究でした.神経障害でだんだんと指先の神経も弱ってきて,点字聖書も
読めなくなりつつありますが,間違いなくS氏より先に天に召される私には何も
怖いものはありません.だから,この kaetzchen というハンドル名も捨てずに,
また実名もあえて明かさずに,他人のうわさも49日と,のほほんと過ごしております.
それでは失礼いたします.もし,お時間が取れたら,メールをいただければと
存じます.私にとってもう,「名誉毀損」か「学歴詐称」かなどという些細なことは
相手にしたくないだけの話ですから.

そしてまた,どこかの掲示板が犠牲者になるだけなのでしょうね(笑)
本当の「罪人」とは誰なのかが,これではっきりするでしょう.

http://blog.goo.ne.jp/kaetzchen/

 

ひとつの結論。

 投稿者:たかぱん  投稿日:2009年 3月 2日(月)00時57分7秒
  Sさんより、メールを戴きました。
ようやく、最初に記して戴きたかったほどのことが分かりました。

こちらとしましては、
どちらがどう、という判定をする立場にもなく、
事の次第は分からないとしか言えません。

Sさんのメールをここにもしご紹介すると、
今度はkaetzchenさんから「名誉毀損」と言われるような内容だと思われます。

どうぞお二人どうしで、どちらが正しいのか続けて争ってください。
おそらく私はまだ寛大な部類に入るのだと思います。
どれほどこのお二人のような配慮のない言明で、
人を悩ませ、人の時間を多く奪うことになるのか、
それに気づかないでいるような方々に対しては、
もっと怒りをぶつける人も多いのではないでしょうか。

この場での、この件につきましては、
これで終了と致しましょう。
お二人は、他所にてお願いします。

ただし、他のゲストの方々が
こうした問題に関心をもたれた場合には、
節度をもって共にお考え致しましょう。
 

メールをくださった方へ。

 投稿者:たかぱん  投稿日:2009年 2月27日(金)23時53分52秒
  Sさん……でしょうか、メールをくださったのは。

いくつかお伝えすべきことがあるのですが、
まず、メールについて。
この掲示板のシステムで、あなたのメールアドレスは
こちらには伝わって来ません。それで、個別にお返事ができませんでした。
そのために、掲示板において、内容をお伝えするしかありませんでした。
この点についてのあなたの誤解については、あなたに問題があるわけではありません。
ただし、こちらにもどうしようもなかったということをご理解ください。

次に、問題の投稿について。
あなたの仰るように、実名には難しい問題があります。
それが社会的に必要な訴えであれば、実名やむなし、というケースもあるのですが、
実名はよくない、というほうが若干可能性を増すかと私は考えます。
そこで、あなたの仰るとおりに、削除することにしました。
ただし、すでにご説明しましたように、
「即刻」のわりにはSさんからのご連絡がないために、
これはもしかすると、あなたの書き込みそのものがどうだったのか、
疑問に思われる、と考えました。
そこで、掲示板自体の脈絡からしても、
原文を掲示したほうが適切かと思い、
とっておいた本文内容を、「実名を隠して」掲載しました。
これは、繰り返しますが、掲示板のやりとりの脈絡から必要であるのと、
この偽書云々の件についてあなたからの反応がなかったために、
もしかするとkaetzchenさんの訴えに妥当性があるかもしれない、という可能性があったからです。

さて、あなたのお気持ちもお察ししますが、
逆にこちらの気持ちも察してください。
Sさんも、kaetzchenさんも、互いに相手が大嘘をついている、と仰る。
そして、それがどのように嘘であるのか、私は説明を求めましたが、
どちらもどうという説明がありません。
強いて言えば、kaetzchenさんのほうが、背景説明は多くなさっています。
さて、私は、どちらをどう信用すればよいのでしょうか。
残念ですが、あなたの抗議は、あなたが思うほどには、他人には理解できないのです。

第三者の私としては、どちらのことも分かりません。
ただ、問題がはっきりしない以上、実名はまずいとたしかに判断しましたので、
あなたの最初の抗議に私は従い、そこは消しました。
削除した以上、ログもありませんので、ご了解ください。
そして、それ以後のことは記している通りです。
私は基本的に、あなたの仰る通りにしてきたつもりです。
それを、「理解していない」と断じられるのは、不本意な思いが致します。

逆に、こちらの申していることが、ご理解戴けないでしょうか。
あなたにとってはあなたが正しいのは間違いないのですが、
第三者から見て、あなただけが正しいかどうか、分からないのです。
もしも、これに対する十分なご説明がもらえないならば、
私も、他人の喧嘩を庭でしてもらうのも面白くありませんので、
kaetzchenさん関係のものは、全部きれいに削除致します。
すみませんが、争いは他所でやってください。

もしも、また山の中にいないのであれば、
数日以内にご連絡ください。
 
    (追伸) くれぐれも。
最初に実名を消すべきであった、というふうに仰るとなると、
こちらには本来弁解の余地はありません。
その通りなのですが、
社会的に意味のある問題である可能性があった、そのために、
これもまた無理にご理解をお願いする次第ですが、
閲覧者の判断を求める必要があったのです。
 

ご迷惑をおかけしました

 投稿者:kaetzchen  投稿日:2009年 2月25日(水)17時10分9秒
  下のちゃらさんの例もそうですけど,言葉の暴力って,怖いですね.「訴える」なんて簡単に言いますけど,実際に複数の裁判を経験してきた私にとっては,そんな脅し文句はまったく意味のないものです.ましてや,ネット上の掲示板の書き込みなんて,誰が書いたかは少々ネットワークの知識があれば,簡単に逆探知もできるのです (先日,そのおかげで警察でほめられた話はブログに書きました).

とにかくS氏はネット上での私の書き込みを全部チェックしていて (ヒマですねぇ……),書き込まれた方々をたかぽんさんのように脅迫して回っているようです.それこそ,自らが「犯罪人」だと自称しているようなもの.

私たちクリスチャンは「自らは罪人である」と自覚しているぶんだけ,まだましなのかなぁと思ったりしています.(^^;)

http://blog.goo.ne.jp/kaetzchen/

 
    (管理人) S氏の行動をご存じだったとすれば、たしかに、迷惑です。
上記にありますように、
事態を私に知らせずして二人それぞれが
相手の非難を繰り返すような、そんな場を提供するつもりはありませんので、
kaetzchenさんのせっかくのご投稿も、全削除する準備があることを、
ご了承ください。
 

言葉の暴力ですね!

 投稿者:ちゃら  投稿日:2009年 2月24日(火)16時37分37秒
  友が今日、上司から人格否定されたあげく、目障りだから帰れと言われ
帰れと言うのは命令だ!と言って 仕事を取り上げてしまったのです。
この様な事が続くならば匿名でどこかに告発
出来のでしょうか?
それとも耐えるしかないと友を励ますだけなのか良い方法を知っている方いますか?
 
    (管理人) 法的にはどうだか分かりませんので、専門の方にお尋ねになってください。

また、事実関係がどうであるのか不明ですので、こちらでも、なんとも判断ができないことです。ご了解ください。
そのお友だちが、心沈んでいることについては、ご相談に乗らせて戴きたいとは思います。
人は、それぞれ何らかの不満をもつのは当然です。しかし、それで自分を塞いでしまうか、相手を罵倒したいと願うか、それともそのことが益にはたらく方向に歩むか、そのあたりは、実に様々です。
 

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