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まあまあ。「頭でっかち」で「信仰が足りない」だなんて、ひとのことを思ったことはないですよ。とくに近年は。
いろいろあるんですねぇ。
「アポトーシス」とは、どこか福音的に感じますね。一粒の麦みたいに。もちろん、科学的にはそんなもんではないのでしょうが、ちょっと考えさせられます。
聖書の翻訳は、やはり人の手による翻訳ですから、どうしても時代状況や立場の違い、お国柄の影響が出てしまいます。そもそも新約聖書のギリシア語でさえ、何の意味か不明なものもあるといいますね。「毒麦」なんか。
そう言い始めると、マタイはマタイの視点でずいぶん偏った記述をしていますし、ヨハネに至っては全くスーパースターのジーザスですよ。
でも、そこにある「覆い」の向こうに、ちゃんと光があるんですね。
それを私ごときが「見える」なんて言い張るつもりはないのですが、自分なりに受けていきたいと考えています。
どうぞ、聖書の光のシャワーをずんずん浴びてまいりましょう。
いろいろご不自由なこともあるかもしれませんが、
貴重な眼差しからの風景を、伝えていくことができますように。
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