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まず 建つ三介 さん、ご訪問、ありがとうございます。
難しいことを考えるのは苦手ですが、
「そもそもどうなっているのだろう」みたいなところで、
見失われているような視点に立てたらいいな、と日頃から願っています。
造詣などと仰ってもらえても恥ずかしい限りです。
御出会いできたことを感謝します。どうぞこちらこそ、よろしくお願い致します。
次に、ジェイ さん、ありがとうございました。
「はしくれ」なんて仰らないで、神の目に尊い一人の存在として、力強く歩んでくださいませ。
「敬虔な」といったイメージに押し潰されそうになるクリスチャンもいらっしゃる中で、
いろいろな意見や考えがあってしかるべきだと考えています。
「小さないのちを守る会」について、ちょっと聞き知っているという程度でしたので、改めて拝見しました。(せっかく教えてくださったリンクはうまくつながりませんでした。)
多くの人の助けになって戴きたい気持ちと、実はまだ判然としない気持ちとがあります。
その会の名前そのものが、もう結論をただ一つに決めてしまっているような気がして、
だとすれば、その問題で悩んでいる人が、もう他の結論は選べないことになってしまわないか、と思ったのです。
もちろん、別の見方もできます。
親もまた、「小さないのち」であると認識するならば、その親のほうを優先するという考え方も可能です。もちろん、それは究極の選択とも言える状況でなければ起こりえないことなのでしょうが、それでも、「小さな」が子どもだけを意味するとは限らないのであれば、私は、大いに守ることを支えて戴きたいと願うのです。
問題は深く、広く考慮しなければなりません。わずかな呟きで尽くせるものではありませんが、ただ、ジェイ さんの仰るように、教会(教界)が、様々な人の居場所になるべく助けになれたら、という意見には、ほんとうに賛成です。
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